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ジャック・マイヨール
Jacques Mayol
メモリアルプレークの
発売にあたって
成田均
Massage from Hitoshi Narita
マイヨール氏への回想録
新嵩喜八郎
Massage from Kihachiro Aratake
与那国遺跡
Underwater Ruins at Yonaguni
メモリアルプレーク
Kihachiro Aratake
新嵩喜八郎
1947年沖縄県与那国町生まれ。
サーウェスヨナグニ、ホテル入り船代表。
与那国の草分け的ダイバー。与那国海底遺跡の発見者として知られる。日本における故ジャック・マイヨールの良き理解者のひとりだった。
http://www.yonaguni.jp
マイヨール氏への回想録
“ゆっくりと着実に”
それが僕へ残してくれた
ジャックさんのラストメッセージ
白地のボーダーのポロシャツに若草色のパンツ、そして決して高価とは言えない普通のスニーカー姿。そんなとってもラフな姿で僕の目の前に現れたのが、今から約8年前のこと。そんな出で立ちにもかかわらず、とってもダンディーに見えたのは、きっと僕だけではなかったはずです。
その時を契機に8年間で何回も、東シナ海の孤島である与那国島に訪れてくれたジャックさん。沖縄のアップテンポな民謡をこよなく愛し、地元与那国の中学校で行われた講演会 を快く引き受けてくれるなど、ジャックさんは、沖縄の自然と文化、そして人々をこよなく愛してくれていたのだと感じました(実は与那国への渡航費もすべて自費でやってきてくれたんです)。
ここ与那国島は黒潮に抱かれた絶海の孤島です。それ故に、海の水の透明度は25m以上と世界でも有数のダイバーズパラダイスと言っていいでしょう。ここ与那国のダイビングポイントはワイド派、マクロ派、地形派のすべてのダイバーを魅了するものが揃っていて、世界各地の海を愛するジャックさんも、そんな与那国の海に引き寄せられるようにして訪れるようになりました。もちろん、中でもジャックさんが最も魅力的に感じたのは遺跡ポイントを筆頭に挙げられる通称海底遺跡と呼ばれるダイビングエリアです。このダイビングポイントは1986年に僕が発見したもので、ジャックさんも与那国を訪れる度に、幾度となく海底遺跡を見にスキンダイビングで潜っていったものです。海の中のジャックさんは、まさにドルフィンそのものでした。
2001年12月23日。イタリア領エルバ島で、ジャックさんが自らの命を絶ったその日の翌日、僕とジャックさんの共通の友人から訃報を受けました。悲しみに打ちひしがれると共に、ここ与那国に訪れたジャックさんとの想い出が走馬燈のごとく頭の中を駆け巡った のを今でも覚えています。
しばらくしてから、僕はひとつの提案を思い描きました。
「ジャックさんが日本の海を愛した証を与那国に残そう」と。
翌2002年3月23日。
ジャックさんが日本で最後に潜った石舞台の近くにある人面岩と呼ばれるダイビングポイントの海底に“プレーク(銘板)”を残すことにことになりました。それが今回リリースされるメモリアルプレートのデザインとなっているものです。実際のプレークの大きさは56cm×35cm。この数字の由来は、56がジャックさんが1976年に100mを越えるスキンダイビングの記録をうち立てた時の年齢、そして35はジャックさんが亡くなった12月23日の12と23の数字を足したものです。
海底にプレークを設置したその日、ジャックさんを敬愛する69名のダイバーが日本はもとより世界各地から訪れ、プレークを囲みながら海の中で献花をさせていただきました。
「ゆっくりと着実に」
ジャックさんが、僕に残してくれた最後のメッセージを胸に・・・。
この度発売される純銀製のプレークは、ジャック・マイヨールを敬愛するダイバーのみなさんへの、まさに文字通りのメモリアルアイテムです。このプレークを全国のジャック・マイヨールファンが共有することで、ジャックさんの偉業を讃えると共に、彼が日本の海を愛したその証として、永遠に我々の記憶にとどめたいと思います。
新嵩喜八郎
2003・6月
メモリアルプレークの発売にあたって
与那国海底遺跡
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